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戦略論 (リデル=ハート) : ウィキペディア日本語版 | 戦略論 (リデル=ハート)[せんりゃくろん] 『戦略論』(Strategy:the indirect aproach)とはイギリスの軍事学者ベイジル・リデル=ハートによる戦略学の代表作である。 原題は『戦略 間接アプローチ』となっている。 == 沿革 == リデル=ハートが生きていた時代は戦争の形態が歴史的な変革を見せた時代であった。1914年にサラエボ事件をきっかけとして勃発した第一次世界大戦はそれまでのヨーロッパ列強が経験したことのない国家総力戦であった。総力戦では航空機や戦車などの新兵器が導入されただけでなく、国民社会から軍事力を引き出すために人員や物資の総動員が実施され、戦争の規模は拡大し、期間も長期化した。この新しい戦争の形態は第二次世界大戦でも認められたが、核兵器が発明されると総力戦という戦争形態は見直される必要性に迫られることになった。リデル=ハートは自身の生涯を通じて二度に渡る総力戦を経験し、その戦争の方式に対する批判を独自の戦略理論へと発展させた。 1895年にフランスで生まれたリデル=ハートはケンブリッジ大学で学び、在学中に第一次世界大戦に将校として参加した。戦後の1927年に健康上の理由から退役した。1927年以後には『モーニング・ポスト』などの特派員として、35年からは『ザ・タイムズ』の紙上で軍事評論を行い、第二次世界大戦の危機が高まるとイギリスの参戦に反対を唱えた。その意見を根拠付ける代表作として本書『戦略論』では独自の戦略理論を展開した。1935年から四年間にわたって陸軍大臣の顧問を務め、軍制改革と総力戦批判を主張していた。戦後には1948年に『ヒトラーと国防軍』、1960年に『抑止か防衛か』、1970年に『第二次世界大戦』などの著作を出版して1970年に死去した。 リデル=ハートは1929年の『歴史の決定的戦争』の出版で初めて間接アプローチ戦略の概念を明らかにした。この概念は1941年、1946年、1954年、1967年の著作で繰り返されながら論じられ、1954年に発表された『戦略論』や1967年の『戦略論』はその戦史に基づいた戦略理論の研究として幅広く読まれた。
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